こんにちは、kobaです。
今回は、雑記になります。
観光をしただけでは得られない、そしてこのタイミングだったからこそ台湾で経験できたこと書かせていただきます。具体的には、東日本大震災後に旅行で行った台湾での経験です。
目次
背景
すでに当時は台湾へ5回ぐらい言っており、ある程度台湾のこと知っていました。
自分には妹がおりますが、妹が結婚することになったので、家族で折角だから台湾に行こう、という話になり、3/21の祝日に合わせて2泊3日で台湾旅行に行くことにしました。
ただ、ご存知の通り、3/11には忘れることのできない東日本大震災が起きました。
家族でも何度かやり取りをして、行くか行かないか悩みました。ただ、自粛ムードの漂う中、色々な議論が起きていました。結果、このタイミングは逃せないということになり、台湾旅行に行くことにしました。
ただ、行くだけではもったいない。
困難に直面している日本に対して、何かしたい!
という想いは持ってました。
確か、台湾の日本に対する募金額や支援隊の派遣のスピードに対する手厚いサポートに対して、ネットではニュースになっていました。
この旅行で数時間空白の時間があるのが分かってはいたので、何か自分も貢献できればという想いがありました。
当時は芸能人など、募金を募る機会が多かったので、自分も「台湾で募金をやろう!」と決めました。
ただ、、自分一人でやるようなパワーとか行動力はないので、どうしようか悩んでいたら、初日に士林駅で現地の日本人会の方々が募金をやられていました。
(士林は士林夜市のある最寄り駅です)
ネットで調べて、即、コンタクトしました。
良かったです^^自分も募金活動をできることになりました^^
台湾での募金活動で経験した感動の数々
いざ、時間になったら士林駅に向かいます。子供などを含めて、日本人と思われる方々の集まりが士林駅にあったので、恐る恐る声をかけました。
無事に合流できました!
今回協力させていただく時間は2時間。
どれだけ来るのかと不安でしたが、、そんな不安は一掃されました。まったく途切れることのない、募金をしていただく台湾の方々。
自分は日本語で「ご協力お願いします!!」と言っているだけですが、どんどん来ます。
●家族一緒にきて、子供に募金をさせる親。
●きっとお小遣いであろう数十元を「これでもいい?」と聞いてきて募金する小学生ぐらいの子供
●タクシー運転手が道路から自分を手招きで呼びかけます。そちらに行くと、トランクから小銭がたくさん入った募金箱。
●バスが信号で止まったらドアが突然開き、運転手が募金箱を持ってダッシュでこちらに来ます。
お礼に日本人会が作ってくださった折り紙の鶴を渡すことになっているのですが、自分は鶴を渡すと同時に「謝謝」しか言えません。
台湾人の優しさに触れて、何度も泣きそうになりました。
よく駅などに●●募金などいろいろありますが、これまで通り過ぎていただけの自分です。
完全にカルチャーショックを受けました。
直接聞いたわけではないのですが、ネットなどで調べると、台湾で大地震が起きたときに日本が真っ先に手を差し伸べてくれたことに対する感謝の気持ちが大きいという記事を見ました。
日本が1999年9月の台湾中部大地震や2009年8月の南部台風災害で台湾を支援したことに触れ、「我々も同様に積極支援する」と語った[5]。
もともと、台湾人の方々は日本に対して、統治時代に当時はまだ教育システムがしっかりしていなかった台湾に教育システムを構築したり、台南地域では日本人が灌漑設備の観点から農家の支援をしたり、色々な要素から、日本に対して好意的な印象を持っています。
一概には言えないことを前置きしたうえですが、多くの台湾人が日本に対して好印象を抱いています。日本製品の品質をはじめ、日本人と一緒に仕事をしたことがある人でしたらその勤勉さを尊敬しています。戦前の日本統治時代を知る人たちであれば、その頃がすごく良かったと感じていたり、懐かしくも思っていたり。若い世代に関しては、子どもの頃から日本のアニメに慣れ親しんでいます。もはや日本のものは、すでに“自分たちの文化のひとつ”にもなっているんです。彼らは、私たちが思っている以上に日本のことを身近に感じてくれている
ふと雑記的に台湾で経験したことを書いてみましたが、こういう経験をこれからも旅行を通じて経験できればいいな、と思ってます。
【台湾からの募金についての記事】
データで見る東日本大震災の台湾からの義援金250億円
https://www.nippon.com/ja/features/c04918/
日本人が知らない、3.11で台湾から届いた義援金200億円の真実
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51222